|
サイト
カテゴリ
以前の記事
ライフログ
おすすめキーワード(PR)
ファン
|
(※ネタバレあり) トッド・ソロンズの世界はいつもどこか童話のように見える。いびつで可笑しくて涙ぐましい、実はとても端正な戯画の世界。日常と現実離れした喜劇が手を組む、真っ黒な童話。それは童話であるが故に、どこまでも現実を突きつける。 トッド・ソロンズという名の可笑しみの体現者である、フィリップ・シーモア・ホフマン。その彼がなんだか愛おしくてたまらなかった。 イタ電したララ・フリン・ボイルから奇跡的に誘われ、彼女の部屋に行くも、フィリップだと知った彼女から断られてしまうシーン。勇気を振り絞って彼女に手を伸ばすしぐさはコミカルな筈でいて、何故かとても美しかった。美しいものを見ながら笑ったのは初めてかもしれない。個人的にはあそこで断りつつも情動にかられてヤって欲しかったんだけど、そうはソロンズが卸さない。あくまで現実から逸れようとはしない彼は職人である。 そしてカムリン・マンハイムの役者魂。『プラクティス』 のエレノア・巨体・フラット役が印象深い彼女だが、『ウェルカム・ドールハウス』 のヘザー・マタラッツォといい、直球過ぎるキャスティングとそれに堂々と答える彼女達が神々しい。そんな彼女とホフマンがベッドで背中合わせに眠るシーンの可愛らしいこと。『ゴーストワールド』 のブシェミとソーラ・バーチに勝るとも劣らない切なさでいて、可笑しみが加味される分こちらの方が上等かもしれないとさえ思う。 更にソロンズの黒い真骨頂はやはり、少年をレイプした男をあいまいにはせず、きっちりとまな板の上に載せた所だろう。自分の息子に 『パパは彼ら(被害者)に何をしたの?』 と聞かれ、男が真っ正直に答えるシーン。こんなにも美しく、醜悪極まりないシーンは他に無いと思う。物語としてはこれ以上ないほどに誠実な表現だった。 またこの最悪のシーンの直後に笑わせてくれる手腕は見事としか言いようが無い。いびつでバランスが悪く、建前だけで繋がった家族。だが家族なんて多かれ少なかれそんなものだ。 更にラストで少年がオナニーするシーンが最大の救いになるなんて、他の誰にこんな表現が出来ただろう。男の子のオナニーシーンを見て「よかったね!!」と思わされるなんて。少年、リトル・シーモア・ホフマンに幸あれ。 改めてトッド・ソロンズは本物の天才だと思った。 …ヘザー・マタラッツォ同様、この少年役の男の子のその後の人生を狂わしたんじゃなかろうか、とそこだけは気になる。 『ダイアリー・オブ・ザ・デッド』 の感想 をアップしました。 最初の15分くらい 「やっべ・・・これどうやって褒めよう・・・『悪魔の儀式』 の再来?」 と思った自分を殺してやりたい。 本当によかったです。 紛れも無くロメロでした。 ここでこう(11~14行目)言ったけど。私のゲームを大好きだとか言ってくれる人はたぶん、これに近い感覚なのかもとちょっと思った。 私自身はそういうことは皆無なんだけど、大方の人にとってはこれを 「感動した」 と公言するのは憚られる所があるんだろうし。それをものともせずにサイト上なんかで公言してくれてるアンタら、ほんと男前だな。格好よすぎるね。もう大好きよ、ほんと。 それで思い出したけど、私は 『ショーガール』 という映画が大好きだ。 ラジー賞総なめにしてようが、“最低” が枕詞になってようが、正味いい映画だと思う。これを肴にならバーホーベンと一回ヤってもいいくらいだ(肴ってなんだ)。 もう 『ライフ・イズ・ビューティフル』 の一万倍くらいは好きだ。 むしろベタを極めるほどに、本当の事を有り体にしか描いてないのにな、これ。 汚い事なんて本当はいっこも描いてやしねえのにな。汚いと感じるとしたら、それは自分はお綺麗だと思い込んでいるからだろう。 根底に流れるものは 『イヴの総て』 と変わらないのに、バーホーベンの含意を全部明文化する単純工法によって逆に伝わらなくなっている気がする。 中身がなくともそれを完璧に隠す女優の方が、総てを曝け出すストリッパーより中身があるように見えるってことだ。ただのまやかしであっても。 新井理恵のセリフにこんなんあったな。 “見た目だけに 惑わされる 馬鹿ばかり 馬鹿ばかーり” 普通、作る側からこれは言えねえよな。ほんと、心底尊敬するわ新井さん。 そら 『イヴの総て』 と 『ショーガール』 では作品の価値としてはくらぶべくもないけど、皮も肉も全て取っ払ったら残るものはたぶん同じだ。 私はどっちも同等に好きだけどな。 to fabさん 熱いメールをどうもです。私も不動の地位にいます、モンローは。 これは、自分を追いつめる為にわざと書きました。だって今まで叩いた大口の中でも最上級にデカイ口だと思う、「モンローのハッピーエンドを描きたい」だなんて。 私の中ではモンローに代表される、女優という悲しい生き物をいつかどうしても描きたいと思っていて。自分がそれを描くのなら、絶対にハッピーエンドで落とし前をつけたいと思っていて。 私がベティ・デイビスやジャンヌ・モロー、バーグマンが好きだというと納得されるんだけど、実の所を言えばモンローこそが別格で、一番。大切すぎてあんま言わないけどね。 女優というよりなんかもう、その存在そのものが悲しくて悲しすぎて。見てしまわずにはいられなくて。好きが過ぎて、私はアーサー・ミラーが憎くて堪らないほど。 別にアーサー・ミラーが悪い訳じゃないし、そんな複雑極まる繊細な対応を求めるのは酷に過ぎるんだけど、そうなんだけど。でも なんで幸せにしてやれなかったのか馬鹿野郎と。なんだよあの 『荒馬と女』 は、ふざけんな、という。別にアーサー・ミラーに罪がある訳じゃないんだけども。 あと彼女の時間がもう少しあったら、幸せになれる道だって在り得たんじゃないのか。あったはずだよ、きっと。(誰と、とはあえて言わないけれど) そんな愚にも付かない事をエンドレスで考えてしまう訳です。 彼女が悲しすぎて。 ![]() またこういう3人くらいしか分からない上にどうでもいいネタを。 (「ストーリー&テリング」 - 松久淳+田中渉著 「ハピネス」 - 嶽本野ばら著) の感想をサイトにアップしました。 ほんとはゲームが完成するまでサイトの更新しないつもりだったんだけど、つうかそんな事言ってる場合かよオイ、ロメロだよ! これロメロだよ、ロメロだよ!!! という事で。 ☆『ランド・オブ・ザ・デッド』の感想 ★ロバート・ロドリゲス、新しい『コナン』シリーズを監督?(FLix) 子供の頃、気がつくと洋画劇場でしつこく放送されていた、「コナン・ザ・グレート」。 「インディ・ジョーンズ」と共に忘れた頃に必ずやってきていたのに、最近はお見かけしませんが。 そんなステロイドヒーローの続編をなんとロドさんが。 >シュワルツェネッガーが出演するかは明らかにされていないが、 >出演しない場合は若手俳優を起用して新しいコナンが描かれる予定だ。 もういっそバンデラスで全然違う話にして欲しい気もしますが。 (↑タイトルを一応ぐぐってみたら、「コカン・ザ・グレート」てビデオ(ポルノ)あったよ! みんな考える事は一緒だな) ![]() それは例えばヘルツォークとクラウス・キンスキー。 『どつかれてアンダルシア』 に出てくる、ニノとブルーノ。 そいつの才能が自分の才能の為にどうしても必要で、だが人間としては殺してやりたい程憎悪する相手。 才能と人格は全くの別人で、だが絶対に分離できない。 愛憎相半ばするのではなく、全面的な憎と利己心によって敢えてそれ(相手)を選ぶ。そしてストレスは飽和を越え、憎しみは天井を突き抜ける。まったくの自業自得に。挙句、ヘルツォークは本気でキンスキーに殺し屋を差し向けようかと考え、『どつかれて~』 の二人は実際に殺しあう。多分その感情は “愛” などよりはるかに熾烈で無二のものだろう。 殺してやろうかと思いながらもなお欲しい才能に、掛け替えなんてない。 才能に惚れる事はとてもやっかいだ。無二のものを見つけてしまったら既に負けだ。 ヘルツォークがキンスキーに蛆虫扱いされながらも、自分の脳内を具現化する為に時に彼におもねり、衝突し続けたように。 ニノとブルーノがその高じた憎しみによって、文字通り “殺しあった”ように。 そもそも憎しみはそれほど永続するものではない。 例えば、私は子供の頃年の離れた兄に毎日のように殴られていた。本気で殺してやりたいと思った事も一度や二度ではない。だが大人になった今は正直、その事はほとんどどうでもいい。憎みきれない事もあるし、何より目の前にさえいなければ憎悪は薄れるものだから(自分から拘泥しなければ)。 憎悪は瞬間風速的な物で、それを同じ強さで保ち続けるのは相当なエネルギーがいる。まともな人間なら、憎んでいる相手からはとっとと離れるだろう(子供にはそれが出来ないのが悲劇だが)。 だが他人の才能を無二だと感じてしまった人間は、憎しみを自ら買って出る。折り合いをつけられる訳がない憎悪をわざわざ選び、それでも気が狂っても何かを手に入れる。 徹頭徹尾 己の為に、殺意に至るまで憎しみに身を晒し続ける。 ある意味、とてもあっぱれだ。常軌に捉われている程度の人間には、死んでもそんな事は出来ない。 願わくば、自分もそんな殺してやりたいほどの相手に出会ってみたいと思う。 もし本当に、実際に出会ったとしたら、間違いなくとっとと逃げるだろうけど。 村上弘明の我が家での通り名は変態教師だ。 「プルシアンブルーの肖像」という映画で、女生徒の日記を読んで興奮する変態小学校教師を演じた村上君。最早どんなに堅い役をやっても、我が家では「変態教師」。ヅラをかぶってべらんめぇ口調で格好つけてみた所で、「あ、変態教師出てる」。 それほどまでに変態っぷりが真に迫っていたという事で、村上君にはそれを誇りに思っていただきたいものです。よかったね。 単純に映画としてはどうでもいい作品なんだけど、こまっしゃくれた高橋かおり(子役時代)と1つ上の変態 村上を見たいが為に何十回も見ていた私も私だ。 全くお薦めはしませんが。つうか観ない事をお薦めする。 そういえばあの人もそうですね、ビル・プルマン。 へっぽこ大作で大統領を演じようが、世間の評価が有名中堅俳優だろうが、私の中ではいつまでたっても 「ゾンビ伝説」でティンコ●●●されてた男。いくつになってもティンコ●●●されてた男。今日も明日もティンコ●●●されてた男。 3人の子供の父親になった今も、その輝かしい経歴は付いて回るのである。墓場まで。 にゃんとも素敵な事だ。 という訳で、レニー・ゼルウィガーには 「レジェンド・オブ・レザーフェイス」 に出ていた事を誇りに思っていただきたいものです。 サイトの方でもちょっと書いてますが、オラ的 「死にたい時に観てはいけない三部作」 について。作品は以下の三つ。ストーリーはリンク先を読んで頂戴な。 1. 『鬼火』 2. 『泳ぐ人』 3. 『ひとりぼっちの青春』 まぁ1つ目とかはまんまですが、わしゃ実際 死にたい時にこれを(家で)3本立てで観て、本気で向こう岸に旅立ちそうになった事があったりなんだり。踏んだり蹴ったりしばいたり。 さて、順番としては1、2、3の順で観るのがベスト。誰が何と言おうとこの順番がベスト。 死にたい貴方なら、もうなけなしの立ち上がる気力すら奪われる事必至です。 1個ずつ解説してみましょうか。 1.はそのまんま、死に至る病でございという作品です。あのグノシエンヌのだるい揺り籠の様な旋律に揺られ、奴(主人公)のやる事なす事に一ミリの違和感も抱かなかったら、あなたは合格です。こちらの世界へいらっしゃい、でございます。 さぁ、ターボをかけろ。 2.は発展編。ひたすら観る者の体温を下げてくれる逸品です。「何事も遅すぎる事はない」 というけれど、「遅すぎた」 という事もこの世には確かにある。絶望と悔恨と底のない虚無。終わり方がまた非常に秀逸。最高に、絶望的。ラストシーン、絶望にだだ濡れのバート・ランカスターにシンクロしたあなたは、もう完璧にこちら側の住人。もう どんどん呷っとけ(毒を)。 3.は完結編。ボディブロー、ボディブロー、ボディブロー。そう、徒労感で人は殺せるのです。ナイフもピストルもいらんし。永遠に穴掘って埋めてをさせとけば人は死にますからして。絶望が恐怖なのではありません。絶望に終わりがないと思える事が恐怖なのです。死にたいなら正常な判断力なんて捨てて、不眠不休で踊り続けなさい。 と戯言はともかく、クソのような邦題には騙されずに観ていただきたい作品です。ただし、コンディションのよい時に。さもなくば醒める事のない酩酊に嵌り込むかもしらん。 それでもよければ、すぐにでもどうぞ。 < 前のページ次のページ >
|